今年に入って、いや節分の辺りから、実はもう自分の中が渇いて、渇いて、まるで砂漠になっているようで、苦しくて苦しくて仕方がなかった。それは、瞑想への渇き、サイキックマッサージでいうレゾナンスが自分の中に全く無くなってしまったかのような渇きで、ひたすら自分の最大の癖である頑張るスイッチがONのままの、、いや、レゾナンスなんて最初からなかったのかもしれないが、、いままで私と関わってくれたレゾナンスをしっかりと持った仲間たちやセラピストのおかげで潤っていただけかもなんだが、、、。とにかく、苦しかった。
それは、自己否定や自己憐憫、怒りとなってさらに苦しくて。
どうにもならず、、春分の辺りで、昔からの友人や信頼する人たちの大きなLOVEの中でひとつ山を越える
そうしながら、この本を読みながら、忘れていたなにか感覚を思い出し、本の中で著者にかけられたOSHOの言葉に、胸詰まるような感じがやってきては涙が勝手に溢れてくる。