インド インド ⑦

金曜の夜から土曜、丸一日、高熱をだし、あとの二日は高熱だったり微熱だったり、薬が切れるとふわーっと熱があがってくる。
私の頭は、身体を無視して、まだなんとか動こうとしている。
でも、これでもかというくらいに身体は私の動きを止めるかのように、やっと4日目熱が落ち着いたと思ったら、とっても重い生理になってしまった。。そして、日本と違い空気の悪さからのどは相変わらず腫れて、咳込んでいる。
なんで、このタイミングで?
それでもまだ、性懲りもなく、あのブラックマーブルの床に挑もうとして、なにがしかの瞑想でそこにいく。はじめは、ナタラジ瞑想で挑み、30分で咳が出てきて退場。。。
今度こそ!とクンダリーニ瞑想で、たった5分で咳込み、退場。。。。
もう、これは無謀だ、、、、。


とうとう、せっかく来たのだからちょっと頑張ってみようっていう私の無意識にやってくるいつもの癖がどうにもできなくなった。。
サイレントシッテイングでさえ厳しい。。。

頭の中は自分のふがいなさでいっぱい、、さらには、人のアテンションが欲しくて私は体調を崩してるのかしら?なんて、自分に猜疑心までやってくる。。

しかし、ここの人たちはとっても優しくて、とにかくそんな私を放っておいてくれるのだ。
完全無視ってわけじゃなく、あいかわらず昔若かったスワミたちやサマディでいつも座っているマまで、そっと遠くから見守り、ときどき目が合って微笑み、ほっといてくれる。。まったく余分な干渉はなし。

私のできることは、身体をいたわり、ぼーっと木漏れ陽を眺め、静かにゆっくりと歩き、ときどき疲れたらその辺に腰かけ、ダンスセレブレーションで踊る人たちを眺め、また一人になってチャンツーの前に広がる庭を静かに歩き、リスやオウム、クジャクやマングースの親子を眺めながら、バンブーがきしむ音に耳を傾け、大空を仰ぐこと。

最初の日に、ウエルカムセンターにいたカルワティが言ったのか、それともひさびさにあったトーシャンが言ったのか忘れたけれど、ここにグループやワークショップに参加でなくて来るのは、本当に贅沢。。

そして、そう、その本当の贅沢を堪能することになった。
もう本当に贅沢。。。ただただ、ぼーっと座って景色を眺めて、自然のおこるさまを見ているだけなのである。
そして、これは誰が本当はみているのだろうか。。。
外側を眺めながら、内側にどんどん開いていき、より繊細により敏感になっていく。。

どれくらい私が臆病で、どれくらい私がひとと付き合うのが下手かとか、笑。。どれくらい、バウンダリーの問題を抱えているかとか、そしてまたどれくらいハートを開くのが怖いのかってこともいやってくらい味わうのだ。そして、すこーしずつ、固くなったものが、知らず知らずゆるんでいく。

ここはそういう場所なのだ。。

何人かの人たちに行く前も、帰ってきてからも、何しに行くんですか?何しに行ったんですか?と尋ねられたけれど、本当に目的がなければいけないのだろうか?